森八の歴史

中興の祖・中宮茂吉

明治44(1911)年、十二代森下八左衛門から森八の社業一切を譲渡され、中宮茂吉は森八十五代当主となった。事業継続すら危ぶまれた森八は、この茂吉の手により再びよみがえることになる。森八譲渡の話が出たとき、茂吉は毎日森八の前に立って、街を行く人々の数や動き、店の客の出入り状況などをつぶさに見た上で決心したという。

大正期の店頭
東京支店開店(大正5年11月3日)

茂吉は、森八の経営が危うくなったのは十二代八左衛門が社会事業に注力しすぎたことに起因するものであり、森八自体の商品力、ブランド力、販売力は決して衰えていたわけではないことを見抜き、経営再建は可能だと判断したという。茂吉の先見性と決断力を物語る逸話であろう。

事業を継承した茂吉はすぐさま森八を法人組織化し、明治44年10月12日森八合名会社を資本金五千円で設立、自ら代表社員となった。

中宮茂吉の下で森八は息を吹き返した。商品力とブランド力を最大限に生かしながらも、それに安住することなく、進取の気概をもって積極的な展開を図ったことが功を奏したものであろう。主な事績の一部としては次のようなものがある。

明治45年
第二回全国菓子飴大品評会を金沢で開催。
大正3年
宮内省より第一次世界大戦参加の将卒に下賜する御紋章入り長生殿10万2000箱の御用。
大正5年
日本橋に東京支店を開設。
大正7年
渋沢栄一御夫妻御来訪。
大正12年
前田利為侯爵来沢時、市内小学生に贈る梅鉢落雁4万1000個の御用。
大正13年
宮内省より陸軍北陸大演習参加の天皇へ下賜する御紋章落雁20万個の御用。
昭和2年
裏千家十四世淡々斎宗匠来沢の際、菓子接伴一式の御用。丹頂、蓮根羹、和不流などのお好み菓子、本店茶室への「楽庵」の庵号などを頂く。

この他にも幾多の事績は記録されているが、総じていえば茂吉の手によって森八は完全復活を遂げ、大正から昭和初期に至る黄金時代を迎えることとなったのである。

渋沢栄一御夫妻御来訪(大正7年本店洋館屋上にて)
渋沢栄一御夫妻をお迎えした来賓室(本店洋館2階)
宮内省御用命品の製造風景(大正13年)

苦難そして復活

大正、昭和と順風満帆に見えた森八の歩みだったが、その後戦争という歴史の大きなうねりに飲み込まれ、奈落の底に落ちてゆくこととなる。戦時中の食糧統制により原材料が全く入手できなくなり、森八は操業不能に陥ってしまう。しかも茂吉の後を継いで十六代当主となったばかりの中宮茂一が海軍に招集され、ついには昭和19(1944)年に戦死してしまう。さらには先代茂吉も昭和22(1947)年に病没してしまう。つまり森八は二代にわたる経営者をほぼ同時に失ってしまったのである。一人残された茂一の妻芳枝は、最愛の夫と義父を立て続けに失った悲しみに打ちひしがれる間もなく、森八を守るための孤軍奮闘に突き進むしかなかった。

とはいえ、数年間にも及ぶ営業不能状態の中で、売り食い以外に収入を得る道はない。蔵の中の金目の物はほとんど売り払い、最後は自身の着物までもお金に替えたという。そして家業再開に一縷の望みをつなぎ、工面した金を仕事のない職人たちに生活費として渡しながら、離散を防いだのである。こうした修羅場をもくぐり抜け、とにもかくにもれんは守り抜かれ、昭和24(1949)年、ようやく営業再開にこぎつけたのである。

営業再開後の森八は戦後復興の波に乗り順調に回復の道をたどることになる。十七代を継いだ中宮久雄の時には昭和40(1965)年本社ビル新築、42年株式会社への改組、49年東京店の復活、52年には新工場建築と、日本の高度成長と軌を一にする業容拡大を続けた。しかしその後に訪れたバブル崩壊という大きな波を受け、それまでの拡大路線は裏目に出ることになった。そして平成7(1995)年、森八は再び経営危機を迎えることになる。この時は、誰の目にも自力再建は困難と思われたのであるが、十八代を継いでいた中宮嘉裕は女将の紀伊子との二人三脚で懸命の努力を続け、平成16(2004)年には再建を完了することができた。二人は「再建できたのはすべてお客様と社員たちのおかげ。これからは世の中へのご恩返しを社是として頑張っていきたい」と話した。

幾度目かの経営危機をまたしてもくぐり抜けた森八は、再び復活の道を歩み始める。平成23(2011)年には金沢市大手町に金沢菓子木型美術館を併設した新本店を開設し、さらに令和3(2021)年には千代田区神保町に新東京店を移転開設した。

本店外観
本店店内
金沢菓子木型美術館主展示室(本店2階)

また令和4(2022)年にはそれまでの和菓子の既成概念から抜け出して和のショコラを謳う新感覚のチョコレートショップ「UNFINI(アンフィニ)」をオープンさせた。

UNFINI(アンフィニ)

こうして振り返ってみると、森八は長い歴史の中で何度も存続の危機を迎えているのだが、その都度周りからの不思議な助力が働いて命をつないできたともいえる。言い換えれば、森八は自力だけで生きてきたのではなく、世の中に生かされて生きてきたのであるといえよう。

このことに対する謙虚さと心からの感謝の気持ちが、永遠に生き続ける企業としての命であるといえよう。

創業400年記念誌「森八400年 和菓子たちの詩」より